台風15号の記憶:被災6日目

この記事は令和元年9月8日(日)から9日(月)未明にかけて襲来した台風15号(令和元年房総半島台風)時のブログ記事を移行したものです。当時の状況を風化させないため、手元の資料から作成しました。


被災6日目の鋸南町の状況ですが、家の復旧に集中したために、あまり書くことがありません。

町の様子は昨日、濡れた畳を乾かしている間に出かけて行って写真を撮ってきました。ボランティアの目の届いていなかった大六地区を報告しましたが、それ以外にもたくさん撮っているのは、今週の平日に別記事にしてお届けします。自宅の復旧の様子もいずれUpする予定です。

9/15(日)、前日に引き続き9時ごろ東京を出発。Twitterで必要な物資等は大体揃っているとのことなので自前の食糧を水分だけを持参。

アクアラインの渋滞はありませんが、館山道に入ると次第に混雑してきました。被災地に向かう人々のクルマです。

走っていくと陸上自衛隊の車列が見えてきました。災害派遣で南房総へ向かっています。横断幕を見ると何と青森の連隊でした。

そんな遠くから救援に駆けつけるというのは本当に頭が下がります。昨日(土曜日)は大宮の連隊とすれ違いましたが、やっぱり自衛隊は頼もしさが違います。

災害で不安定なメンタルになっているところへ、見るからに力強いオーラを発している大型車が列をなして整然と行動しているのは本当に頼もしいです。

鋸南保田ICで高速を降りる際にETCカードの読み取りエラーが発生したので高速出口で一時待機。係員さんが処理をしてくれている間に保田の町を写真に収めました。

ブルーシートの屋根が多くあるのは勝山同様で、保田小学校の物産市のある体育館はネットで見た通り壁面が吹き飛ばされていました。

保田小学校はやや内陸にあるため、強風の被害など無さそうに思えましたが、長狭街道を通って山の方へ一気に抜けたのかもしれません。そう考えると山中の市井原や横根の集落の様子が気にかかります。

竜島に着いて海岸付近に駐車します。台風被害の瓦礫や倒木を利用しての措置でしたが、もう大丈夫かもしれません。

※町の中を出歩くことが無かったので、以下は5日目の写真を使用してお話しします。

ボランティアの協力もあって竜島では後片付けが進んでいます。被災3日目は瓦などを積み上げているところでしたが、6日目では障子、家具、布団など濡れてダメになった家財の撤去まで作業が進んでいるようでした。

暴風で車の窓ガラスが割れ、そこをテープで応急処置して走っているクルマも被災地では珍しくありません。

衝撃的だったのは海岸沿いの民宿清和荘。3階建ての割合に目立つ建物だったのですが、なんと3階部分がまるごと吹き飛ばされてしまっていました。

大正元年生まれの祖父が子供の頃は、東京から船で勝山の清和荘に遊びに行っていたという話を聞いていましたので、無残な姿に言葉を失います。

1日中家の片づけをして終わりましたが、作業終了後は余ったロープ類を役場の支援物資受付に持って行って提供しました。

全国からの支援物資が山となっており、みなさまからの支援には本当に感謝しかありません。

勝山海岸の写真同様に5日目の写真ですが、町役場周辺です。勝山で無事な地区は無いのですが、役場の周囲はその中でも被害の大きい地域の一つだと思えました。

役場自身も天井が崩落する被害を受けており、停電して町内各所との連絡が途絶する中で、役場の処理能力を超える事態に直面したことになります。

情報発信、ボランティアや支援物資の受け入れ等について批判もありましたが、仕方のない面もあると思います。それでも安房地域は元禄地震に代表されるように地震/津波の脅威に常にさらされており、浮かび上がった課題は今後解決していった欲しいと思います。

ちなみに役場の駐車場には携帯各社の移動中継車が入っており、これが来てくれたお蔭で携帯の電波が回復しました。

私のいる勝山の竜島地区は金曜日の夜に停電復旧し、5日目の朝に到着した時点で東電のHPには停電解消となっていました。

実際に回復した家も多かったのですが、我が家を含めて海沿いのエリアは6日目も復旧しませんでした。それでも夕方、東京に帰るころには東電の工事車両が続々と入って工事を開始したので、7日目の今日は回復していればいいなと期待しています。

夕方でまだ日があったので、国道127号線を北上して他の町の様子を見に行くことにしました。

勝山はお伝えしてきた通りの惨状で、保田も同様。ただ家の損傷具合を見ると勝山よりはややマシという印象でした。

金谷はCafeエドモンズの吹き飛んだ屋根が痛々しく、他がどうなっているのかといったところ。金谷は人口1300人、保田や勝山に比べると小さな町なので、支援が行き届いていないという情報がTwitterに上がっていました。

フェリー乗り場を過ぎて富津金谷ICの入り口付近、海に面した金谷マリーナのレストランは酷いことになっているのではと思いましたが、シャッターが下ろされていて、一部損傷はあるものの、そこまでの大被害ではありませんでした。

金谷の町と岬1つ隔てた反対側なので、それが風を防いでくれたのかもしれません。

そのまま北上すると漁師料理かなや、これは海に面していて被害甚大。壁が落ちてしまっているのが分かりました。

更に進んで竹岡の町も酷いと聞いていましたが、行ってみるとブルーシートの家がそれほど多くありません。その先の上総湊も同様で、結局写真の地図のような方向で台風の暴風が吹き抜けたので、それに正面から晒されたのが勝山、保田、金谷だったのでしょう。

それを考えると南の岩井、富浦も相当酷いという話は聞こえていますが、納得できる話です。

各地域で困ったのが停電ですが、金谷と竹岡は山にダムがないので断水も深刻だったのだと思います。

勝山は佐久間ダム、上総湊も湊川上流にダムがあるので水は大丈夫でした。(当然場所によるので、勝山でも断水していた地域は多いです)


そんな訳で町の様子を見ながら北上していったところで、営業中の幟を発見。勝山から国道を延々と走って初めて見つけた営業中のお店です。

上総湊にあるいこい食堂さん。嬉しくなって夕食に入りました。

聞けば停電がこの日の朝に回復し、今日から営業再開とのことでした。

漁師も停電中は港の設備が使えずに、漁に出られなかったとのこと。町自体の損傷はブルーシートの家がそんなに目立ちませんでした。

被災後初めて南房総で食べる食事です。チャーシューメン750円と餃子450円。

懐かしい昭和の味で美味しく完食させて頂きました。