台風15号の記憶:被災5日目

この記事は令和元年9月8日(日)から9日(月)未明にかけて襲来した台風15号(令和元年房総半島台風)時のブログ記事を移行したものです。当時の状況を風化させないため、手元の資料から作成しました。


今日はブルーシートの応急処置が終わったので、濡れた畳を天日に干したりしていました。

昼過ぎには一区切りついたので町の中を被災後初めて歩いて回りました。

勝山海岸やばんや、役場周辺はTwitterなどにも写真がUpされていますが、それ以外の地域も被害は甚大です。

特に発信するべきと思ったのが大六地区です。竜島の隣にある大六海岸及びその内陸部が大六地区になります。

ネット上での情報発信が無かったことと、ここにある大六神社がお気に入りで気になったということもあります。

大六へは内房線の線路を渡ってから勝六トンネルという人道用の小さなトンネルを通っていきます。鋸南中学の学生の通学用に作られたトンネルで、近所の人からは、このトンネルを台風の烈風がものすごい勢いで抜けて行ったという話を聞きました。

トンネルを抜けると大六地区の端になります。ポツリポツリと民家があるのですが、住宅地というほどではありません。

線路を挟んで海側と、この先にある鋸南中学から奥へ向かっていく辺りが大六地区の中心になります。

ここの新しいお宅の屋根が捲れているところから被害が顔を出します。

周りは浅間山の裾野で木々が密集していますが、無残な姿を晒していました。

そのまま山の縁に沿って進んでいくと鋸南中学校校庭の植木が見えてきます。一様に海から山へ向かって倒れており、凄まじい強風があったことを物語ります。

そしてその脇にあるのが大六神社です。山奥にひっそりと佇む雰囲気が好きで、よく散歩コースにしているお気に入りの神社です。

一見、大丈夫そうに見えましたが、よく見ると鳥居の注連縄が切断されてぶら下がっていました。

境内には折れた木の太い枝などがありましたが、参道の脇に片づけられていました。

そしてどこから飛んできたのか分からない、何かの屋根が転がっていました。参道に引きずった跡がありましたが、あとで地元の人に聞いたらみんなで協力してとりあえず道を空けたとのこと。

大六神社のご神木、樹齢500年の大銀杏は無事でした。

神社の社殿も無傷だったのは周りが木々に囲まれているためなのでしょうね。まずは一安心。

高台になっている神社からは鋸南中学校の校庭を一望できます。野球場3個分くらいの広大な敷地ですが、植木が大きく傾いている衝撃の光景から始まりました。

平成になってからつくられたお洒落な校舎にはブルーシートがところどころに掛けられて、損傷していることが分かります。よく見ると教室の窓ガラスも割れているようです。

神社から見下ろす大六地区の沿岸部はブルーシートが目立ち、ここでも多くの家が損傷している様子が分かります。

内陸に目をやってもブルーシートの屋根がいくつも確認できました。

そして校庭に目をやるとサッカーゴールなどの備品がひっくり返って風に流されている様子が見て取れました。

大六神社を後にしていくと、目の前の電柱にこんな光景が・・・。

こちらの木は皮が丸ごとなくなっていました。いったいどうやったらこうなるのか。

関電工の工事車両が入ってきました。大六は依然として停電中のままになっています。

近所の人に話を聞くと、竜島と大六のトンネルや国道の切通しを抜けたと思われる烈風が吹き抜けたのではという話でした。

断水は2日目辺りで復旧したそうですが、それ以前は大六海岸にあるコミュニティセンターまで水を汲みに行っていたとのこと。

その烈風が引き起こしたと思われるのがコレ。恐らく電柱に巻き付いていたり、大六神社に飛ばされてきたものの元だと思われます。家1軒が完全に倒壊しています。

こちらは鋸南中学と内房線の間にあるハウス栽培農家です。植込みが風に倒されかけており、鉄筋の入ったブロック塀が倒れていました。

今回は地震ではなく強風なのに、風だけでこんな状態になるのですね。

植込みの先のビニルハウスの惨状。花の栽培を行っていたと思いますが、無残としか言いようがないです。

こちらは鋸南中学正門付近のビニルハウスです。

その先のハウスも倒壊していました。

その奥にも集落が広がっていますが、ビニルハウスの崩壊などが確認できました。こちらのお宅はウッドデッキがすっかりやられています。

その奥までは行かずに引き返し、国道127号線まで戻ってきました。大六から吉浜へ抜ける亀ヶ崎の切通し。
亀の甲羅の山の木がごっそり落ちていました。

こちらは国道沿いのお宅ですが屋根どころか玄関も雨戸もやられており人が住める状態ではなくなっています。

鋸南中学校入口の交差点は信号が点灯していましたが、よく見ると信号機に発電機が直結されていました。

そして国道沿いのレストラン「フィッシング」。子供の頃はよく亡くなった祖父と家族で食事をしていた思い出のレストランで、最近もランチが安くておいしいので食事をしによく来ていました。

正面のガラスが破られ、壁面にも穴が開き、後ろの母屋?は屋根がすっかり飛ばされてしまっています。

隣にあった釣具屋さんもご覧の有様です。

国道を渡って大六海岸へ向かいます。亀ヶ崎の甲羅の山、よく見ると根っこから崩壊した木が崖に引っかかって宙吊り状態になっています。

何かのタイミングで落ちてきたら危険な状態です。

ということで大六地区の状況をお伝えしました。住民の方に話を聞きましたら、片付けが大変で何から手を付けていいのかという感じでした。

「役場のボランティアセンターに頼めば少しのことでも来てくれますよ」と言ったら、その情報が全く伝わっていなかったらしく、「ああ、そうなんですか。全然伝わってこないものだから」とのことでした。

役場からは少し歩くのと、地区の多くが依然として停電中であるために手が足りていない状況が伝わっていないのだと思います。

必要なところへ必要な人たちを送り込んで復旧を急がないといけません。