鴨川の流鏑馬 吉保八幡神社祭礼

台風15号で大変な状況になっている南房総ですが、9月の最終週に鴨川で流鏑馬が行われます。

もともとずっと気になって行こうと思っていたのですが、思いもよらぬ災害で頭の中から無くなっていました。週末に勝山へ行くとなった時に、そういえばと思い出しましたのです。

午前中の雨で屋根からの雨漏りが見つかって応急処置していましたが、行くことが出来ました。

流鏑馬が行われるのは長狭街道国道410号線の交差点、みんなみの里改め里のMUJIカステラ工房ルアーシェイアのある付近です。

ここにある吉保八幡神社の祭礼の中で流鏑馬が行われるのです。

国道にある臨時の駐車場にクルマを停めて、長狭中学校の横を歩いて行きます。午後3時前に到着しましたが、祭礼自体は朝から行われているので、人が集まっているのでそれと分かりました。

長狭中学校の校庭は倒木がいくつもあって、ここでも強風が凄かったことを物語っていました。それでもブルーシートを被っている家屋はポツポツという感じで、ここの2倍くらいが上佐久間、それの更に2-3倍の被害が鋸南町の役場周辺という印象です。聞いた話では鋸南町では家屋の9割が被災したという話です。

歩いて行った先に長狭街道に接続する道の脇にコースが作られていました。

長狭中学校に隣接する形にあるのが吉保八幡神社です。社殿が立派で、祭礼中なので神社が人で溢れています。まずは神様へのご挨拶でお参りしました。

ここ吉保八幡神社の本殿は、房総の名工として名高い初代波の伊八の作品です。鴨川市内の伊八の作品を紹介する団体がテントを出していました。吉保八幡神社の社殿は中尊寺金色堂のような覆堂に覆われており、伊八の作品を普段目にすることはできません。
それが祭礼中は特別に解放されており、社殿の奥に入って拝見させて頂くことが出来ます。中の伊八の作品の彫刻を説明してくれる係の方もいらっしゃいました。年に1度の貴重な機会です。

そうしてお参りしている間に町内を回っていた御神輿が返ってきました。

よく見ると担ぎ手が2人だけの小さなお社のような御神輿で、それが連なっていました。見たことのない珍しい光景です。

御神輿の後には流鏑馬の的と支柱の竹が担がれて続きます。思った以上に大きくてビックリしました。

最後は流鏑馬の神馬が登場です。そのまま神社に入って中で神事が始まります。

人を降ろした神馬は神馬舎に繋がれて出番を待ちます。せっかくなので神社の案内板にあった説明を転載します。

9月最終日曜日に催行される吉保八幡神社のやぶさめは、古くは地頭の畠山・鈴木両氏の家系によって伝えられ、米どころの長狭平野にふさわしい農耕神事として、長い年月にわたって継承されてきました。現在では仲・大川面・宮山・八丁地区の氏子らによる「長狭やぶさめ保存会」が保存継承に努めています。

本県内で行われる本格的なやぶさめとしては、唯一の例であるこのやぶさめは、下乗り・弓取り・神役・禰宜によって古式にのっとって執り行われます。 なかでも禰宜は、七日間の精進潔斎によって心身を清めて当日の騎射に臨みます。馬場の全長は百二十間(二百十六メートル)で、三つの的が立てられます。

その的はそれぞれ、早稲・なかて・晩稲を意味し、禰宜は疾駆する馬上から的に向けて矢を放ちます。これを三回繰り返し、合計九本の矢の当たり具合によって、翌年の適種や豊凶を占います。

ちなみにスケジュールとしては、このように貼り出されていました。
15時30分 露払い(馬場注連切り)
15時45分 下乗り
15時55分 鳥居前にて馬場、禰宜、神馬、御祓い
16時00分 流鏑馬神事

3時を回ってくると続々と人が集まってきます。

開始を待っている間に、さっと一雨来たので、クルマまで傘を取りに行ったのですが、戻ってきたときには止んでいました。

そして空には見事な虹のアーチが出現。神様がここに下りてきたような神秘的な光景でした。

そのあと予定通り、まずは下乗りが行われました。神馬に馬場の様子を掴ませる練習です。

続いて的が竹の先に差し込まれ、高々と掲げられます。流鏑馬というのは人の背丈位の高さで、小さな的に向かって行われるというイメージだったので、思った以上の高さと存在感に驚きました。

的が立った後は再び神馬が駆けて行き、的の角度などが調整されます。

いよいよ装束に身を固めて流鏑馬の始まりです。まずは1回、矢を馬上から手で放ります。

そうして今度は馬上から弓を構えて的に射かけます。迫力の流鏑馬は生れてはじめて見ます。この目に焼き付けたいという想いから、カメラの写真はあまり綺麗ではありませんが、目の前に見た迫力と感動が少しは伝わるでしょうか。