山深くに佇む鎌倉の息吹 信福寺

今回紹介するのは大帷子の山中にある曹洞宗の寺院、鹿峰山信福寺です。

天安年間に慈覚大師によって創建されたとされていますので、平安時代に作られた寺院です。慈覚大師は日本寺の仁王像や観音像も作ったと言われています。

戦国時代の弘治元年(1555)の山火事をきっかけに衰えていたが、寛文9年(1669)に復興したとのこと。江戸時代前期にあたる寛文年間は日本寺にも庚申塔があったりしますし、このころ保田地区全体で曹洞宗が盛り上がりを見せていたのかもしれません。

信福寺へは長狭街道の保田ICを超えてすぐのところにある案内板に従って、田舎道を進んでいきます。

そうして進んでいくと山道に突入。上の写真、凄まじい急こう配の坂なのですが、感じが伝わるでしょうか。

山の中にあって大変そうなのと、クルマが通れる道なのか不安だったので、保田小でやっているレンタルサイクルで電動自転車を借りたのですが、登っている最中にウィリーしそうな感じになって、結局途中から手押しになりました。

おそらくすれ違いは無いでしょうし、道幅は結構しっかりしているので、普通にクルマを使えばよかったと思います。

ゴール手前は桜並木になっており、桜の季節に来たら美しい光景が見られると思います。

ひいひい言いながら何とか到着。お寺だけが山の中に忽然と現れるというのは不思議な感じがします。

大正中期に般若講が組織され、安房・上総の酪農家を中心に参詣が盛んだったそうです。昭和27年から毎年3月15日に抽籤で選ばれた子牛を観音様に上げる行事が行われて、数千人が参拝したというから、その賑やかさは想像できません。今はどうなっているのでしょうか

信福寺で注目はこちら。板石塔婆、または板碑といい供養のために建てられたものです。

青石を彫って作られていて鎌倉から室町にかけて関東で多く作られたとのこと。仏を表わす梵字(ぼんじ)と死者の名前、死亡年月日、年令、または供養者の名前、供養した年月日、供養の内容などが刻まれることが一般的ですが、こちらをみると梵字は分かりますが供養されている人物については磨耗していて不明です。

建立されたのは鎌倉末期の正和5年(1316)とのことで、700年も前の人々の活動の痕跡です。写真の通り2つに割れてしまっているため、昭和53年にブロックの鞘に納めて建て直しされています。

信福寺は子授け観音として信仰を集めていたそうで、傍らには赤子を抱いた石像も置かれていました。

安房国札所第九番の観音霊場で御詠歌は 「真福寺 のぼりて岸を眺むれば 保田の川瀬に 立つはしらなみ」

昔はお寺からの眺めも良かったのかもしれません。