菱川師宣墓所にして津波被害を伝える保田別願院

夏目漱石が明治22年に訪れ海水浴を行ったというところから、房州海水浴発祥の地となっている保田海岸。長大な海岸線と鋸山の景色は魅力にあふれています。

この保田海岸に面しているのが別願院という浄土宗の寺院です。創建は元和5年(1619)なので存林寺創建の2年前になります。戦国時代に安房を支配した里見家の改易が慶長19年(1614)なので、安房国が新体制になったタイミングでの創建となり、考えさせられる時期です。

元禄地震(1703)による津波被害の他、明治40年の保田大火、大正6年の東京湾台風によって数度の堂宇倒壊があって昔の記録が残っていないとのこと。これだけ海岸が近ければさもありなんという気もします。

境内にあって目立つのは元禄海嘯菩提地蔵尊ですが、実は左側に移っているブロックの中にあるのがそれで、写真の石仏は無縁仏のもののようです。

元禄地震で鋸南町は津波により甚大な被害を受け、保田では319人が犠牲となりました。明治初期の段階で保田の人口は1500人程のため、人口の20%という恐るべき割合です。元禄地震は関東大震災を上回る超巨大地震で房総各地に大津波が襲来しましたが、特に鋸南町と鴨川、九十九里の被害は甚大でした。

こちらは地蔵尊の裏手にある菱川師宣の墓です。気付かないでスルーしがちではありますが、鋸南町出身としては歴史上もっとも有名な人物ではないでしょうか。

幼いころから絵の才能があり、江戸へ出て学び、浮世絵の開祖となった人物です。父親も保田で縫絵師をしていたということで、保田は単なる海辺の寒村ではなく、文化的な水準もある程度高かったことを示しています。江戸との距離が近く、文化的な影響を受けて来たというのは鋸南町の歴史を語る上での大きなポイントでしょう。

ちなみに菱川師宣の代表作である見返り美人、鋸南町のマスコットキャラクター「みかえりちゃん」として観光案内の各種ポスターなどによく登場しています。