鋸南の最奥:横根村の景色と大山祇神社

鋸南町の保田から長狭街道に沿って上っていき、富津市山中との境界付近にあるのが横根地区です。江戸時代の区分では横根村。鋸南町の最奥に位置する地域です。今回初訪問となりました。

写真の通り長狭街道からクネクネ曲がる細い道を通っていくと横根村が姿を現します。

まだ桜が咲いており、菜の花との対比と山の中の比較的なだらかな斜面を切り開いた村の風景は心が和みます。

桜と菜の花、ホトトギスと蛙の鳴き声が合わさって、日本の原風景といった感じです。

確か横根村には神社があったハズ、ということで地元の人に場所を教えてもらいました。

地区のコミュニティセンターの裏側にあるこの急坂を上って行きます。「四駆のクルマじゃないと登れないかも」と言われたのでクルマを停めておいて、この先は徒歩です。

坂を上って行った先は耕作放棄された棚田がありました。村の中心から一山を越えて行く格好なので手作業で耕作していた時代の苦労は凄まじいものでしょう。

棚田を過ぎても道はまだまだ続いています。

上って行って稜線の反対側に小さな神社を発見。

山の中にひっそりとたたずむこちらの神社。横根の大山祇神社です。地理的にも山の神様をお祀りする神社が鎮守としてあるのは納得です。

境内の灯篭はかなり歴史を感じるもので、横根村の山水講(富士講の一種)の石碑もありました。

神社の先へも道はさらに続いています。棚田エリアよりもさらに1段高い場所ですが、明らかに人の手で開墾された場所。水田ではなく畑の跡だと思われます。

そして先に進んでいったところに階段があり、横根村の裏山の頂上に出ました。

ここには小さな祠があり、歴史の息吹を感じさせるものでした。


山の頂上を過ぎても道はさらに続いており、開墾された畑の跡がさらに広がっていました。

流石に山を1つ越えて歩き続けたので、疲れてしまって今日は此処まで。クルマで最初の急坂を上れる自信がないので、さらに奥へ踏み入っていくのはなかなかできない気がします。

GoogleMapでもこの辺りは既に道として表記されていないので、どこまで行くと、どんな風景が広がっているのかまるで分かりません。

という訳で今度はGoogleの航空写真をチェック。

横根村の中心から山奥へ伸びる道を見ると、Googleが示している道の先にもそれらしい痕跡があります。既に境界としては富津市に入っていますが、山中の所々に畑を思われる平地が確認され、最終的にはもみじろーどに合流しています。

ここを走破するとなると自転車でしょうか?

続いては国土地理院の3D地図です。

横根村の中心の標高は100メートル。そこから裏山が180メートルで、比高80メートルのアップダウンがあった訳ですが、地図記号の水田が谷筋に沿って大量に存在していました。

横根村は市井原の村はずれが次第に拡大して、江戸時代に村として独立した場所ですが、そこから300年間。営々と人の手によって開墾、耕作を行ってきた結果がこれだと考えると人間というのは本当に凄いと感動させられます。

※本記事は過去ブログの転載です。