波佐間 第59震洋隊基地跡をゆく

館山から洲崎に行く途中、波佐間の港に戦争遺跡があります。ここは勝山を本拠とする第十八突撃隊配下の第五十九震洋隊の基地があったところです。

海軍は本土決戦に備えて水上特攻を重視しており、横須賀鎮守府配下に第一、第四、第七の3つの特攻戦隊と八丈島警備隊を編成。第一特攻戦隊配下には6個の突撃隊があり、南関東沿岸の防備についていました。

その中の一つが内房地域に展開した第十八突撃隊でした。

第十八突撃隊には第五十九震洋隊と第十一海龍隊がありました。

震洋は小型のモーターボートに爆薬を搭載した特攻艇で、基地周辺に格納庫を作って通常時はそこに震洋を入れて置き、いざという時にはこの滑走台から出撃していくことになっていました。

海龍の方は小型の潜水艇になりますが、史料によっては蛟龍が配備されていたというものもあります。

震洋隊の定数は50隻ですが、勝山周辺や南無谷岬にも震洋格納庫が残されており、史料上は洲崎にもあったようですので、内房沿岸に広く分散配置されていたというのが正しいと思われます。

正面から米海軍と戦闘できる状況ではないので、夜間に小部隊に分散して奇襲攻撃を掛ける戦術を企図していたのだと思います。

滑走台から山側に伸びるルートには今も建物が無く、当時の痕跡をとどめています。

波佐間沖に眠る震洋の姿を報じた映像がNHKアーカイブにありましたので、下記にリンクします。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_67.html