明治丁場エリア

2023年3月18日

明治丁場エリア

明治隧道

関口丁場の巨大掘割の出口から細い尾根を(多分)3つ超えた先に明治隧道があります。

明治隧道

そうして見えてきた明治隧道がこちらになります。これは元名ダムの奥から延びる車力道が隧道と接続しています。

そして明治隧道に入ります。隧道は貫通しており、崩落もなくしっかりとしています。

隧道を抜けると右手は急斜面となっており、斜面にへばりつくように道が先へと続いています。これまでの緩やかな広々した山道とは違い、途端に狭く圧迫感のある道で、しかも倒木が多いので慎重に進まなければなりません。

M28丁場

上の道を進んでいくと先達さんがM28丁場と呼んでいた丁場が出現します。

名前の由来は丁場の壁に掘られた明治28年の文字。

丁場の中は天井があって秘密基地とか要塞の中に迷い込んだような気分がします。丁場の底には水が溜まっていましたが、大した量はなさそうでした。

終の丁場

上へ進む樋道

M28丁場から更に車力道は上へ向かって進んでいきます。道の壁側が石材を滑らせる樋、右は階段になっていますが、とても狭いうえに相変わらず倒木があり、間違って落ちたら大変です。

狭い車力道は延々と上へ登っていき、手掛かりは頼りない灌木や蔦くらいしかありません。当時の石切り作業が危険と隣り合わせであったことが実感できます。

終の丁場へ

細く危険な車力道をさらに登っていくと、角度は一層急に、道の幅は灌木に邪魔されたりしてますます狭くなります。上の写真は車力道から見上げて撮ったものですが、両手足を使ってボルダリングのような状況になってきたので諦めて引き返しました。

先達さんによると、この先に終の丁場と名付けられた小さな丁場があり、そこに保田/勝山の町が一望できる絶景が待っているとのことでしたが、これ以上は危険と判断しました。

来た道を下るのにも慎重に足を踏み外さないように、地面に這いつくばっておりました。

明治隧道を抜けてからの概略がこちらになります。鋸山の尾根の一つが切り立った急斜面となっており、それに沿って細い道が階段状に付けられているという形になっています。

横長の丁場

明治隧道から道を分岐して反対側の尾根まで移動します。房総半島台風によってスギ林がバキバキに折れており、到達が困難と思いましたが意外なことに到達することが可能でした。

横長の丁場
横長の丁場の奥

到達した地点はノミ跡のある丁場でしたが、その先はノミ跡の風化した、しかし確実に人為的と思われる斜めの切れ込みの続く景色があります。古い時代の石切りは石を斜めに切っていたそうで、明治初期か江戸末期くらいの丁場ではないかと考えました。

この丁場は高さではなく奥行きが広かったので「横長の丁場」と命名しました。

展望岩からの景色

横長の丁場を抜けて尾根の先端に出ると、そこに岩があって、そこから鋸南町の景色を一望できる素晴らしい眺めを確認することが出来ます。よってここを展望岩と名付けました。

展望岩から横長の丁場を見る
丁場に刻まれた石屋のマーク

そして展望岩から横長の丁場を見た時の写真がこちらになります。風化した片洞門の上になりますが、明確に切り出された様子と、石屋のマークと思われる三角形の記号が朱色を使って彫られていました。

こうしたマークは金谷側の石切り場には、自分たちの丁場だという目印として彫られることがあるのですが、元名側では初めて目にしました。三角形の中は「立」という字に見えましたが、どうでしょうか?

天然の岩肌を削った丁場ですが、足場でも組まないとあのようには掘れないと思います。いったいどうやって掘っていたのか、そしてあの場所にどうやって到達したらよいのか、今後の課題です。

なお、明治隧道の先から横長の丁場、展望岩へは移動に神経を使うエリアなので現地に行く場合は注意が必要です。

小丁場3

小丁場3

そしてもう1つ、明治隧道を抜けた先に在る崩壊斜面の上に小規模な丁場が存在しています。ここは横長の丁場への分岐点を上へよじ登るか、大丁場2の掘割をスルーして進むと確認が可能です。