展望台エリア
石祠丁場
ドラム缶広場から繋がる坂道を登っていくと石祠丁場が出現します。横方向に3つ位に分かれた大きなエリアです。1960年代の航空写真には同じエリアにぽっかりと空間が空いているのが分かり、ここが昭和の時代、最後まで稼働していた石切り場であることを示しています。
この丁場は石祠丁場と命名していますが、これは石切り場に石祠が安置されていることに由来します。
高さは数段に分かれていくつものエリアに分かれており、鋸南町側からも鋸山の山肌を観察すると見ることが出来ます。
石切り場の前には切り出されたものの、出荷されずに残った房州石が放置されています。
この場所が鋸南町側からよく見える理由は、丁場の端が水没丁場エリアの「弐の丁場」の真上にあるということで、そのために視界を遮るものが何もないということになります。
そのため、このように日本寺と浦賀水道を一望できる素晴らしい眺めを堪能できます。ここは本当に素晴らしいスポットで、人を案内して来るときは定番のお昼スポットです。
石祠丁場:奥の院
石祠の安置されているところまでよじ登るとさらに石切り場が広がっています。
高さはかなりあって逆階段状の天井、真っ白な石壁があって白亜の宮殿といった感じがあります。審美的な雰囲気があることから奥の院と名付けました。
関口丁場
石祠丁場の端に石切りのズリが出ている隧道があります。RPGで見るダンジョンのような雰囲気があり、このまま下に下っていきます。
ダンジョンを抜けた先には見上げるような、元名石切り場で最大の規模を誇る丁場が出現します。戦前の文献によれば元名石切り場で最大の丁場は、保田出身で鋸山石切りを行った中心メンバーの1人である関口二郎所有であると書かれています。それがこの丁場であると比定して関口丁場と命名しています。
関口丁場の底まで降りることが出来ます。そこから見え気たのがこの景色。
50mは確実に超え、70-80mくらいはありそうな高低差です。金谷側で観光地として公開されている岩舞台に匹敵する高さがあります。
関口丁場はL字形になっていて、奥まったところにもう一つ石切りにエリアがあります。周囲を巨大な石壁に囲まれたポケットになって、ここに来た人は誰もが感激します。
関口丁場を上から覗き込むと高低差が凄くあります。正面に絶壁があるために地獄覗きよりも数倍怖い迫力があります。
関口丁場の入口は巨大な岩によって埋まっており、崩壊して通り抜けできなくなっています。原因は不明ですが、おそらく関東大震災によって崩落し、それによってダンジョンになっている隧道が作られたのではないかと考えられます。
掘割の丁場
関口丁場の掘割の出口があり、そこから奥へ尾根を2つほど超えて、石垣を数段超えると掘割の丁場が出現します。高さがあって、幅は人が2人並んで通るときついかなとという感じの特徴的な切通しです。
切通しの先には高さ50m位はあるような巨大丁場が再び出現します。手前の切通しが狭かった分、劇的なシーンで歓声が上がります。
切通しから左手は苔むした石が積み重なっています。関口丁場と雰囲気が似ている感じがありますね。ここを登っていくと切通しが2つあり、底まで掘り進める前の、古い時代の搬出口になります。