明治車力道と大正車力道

明治隧道から元名ダム方向へ下る車力道を下っていきます。

隧道から元名ダムまでの車力道はこの写真の通りですが、意外に傾斜がきついうえに倒木がいくつもあって進むのに苦労します。明確な崩壊はありませんがスイスイという感じでもありません。

進んだ先にある元名ダムの景色は感動を与えます。車力道はこのままダムの底へ沈んでいきます。

ここから左手に向かうと元名ダムの管理施設の方向に出るのですが、台風による倒木が凄いことになっているので抜けるのは断念しました。

大正車力道のスタート地点

一方、右手の尾根を1つ超えると大正時代の車力道が現れます。

一直線の車力道が良く分かる

ダムに対して一直線にきれいな石畳の車力道が引かれており、明治車力道より状態が良いかもしれません。この谷筋に集まる水を排水する水路が車力道と別に作られているようでした。

明治30年代に石切りの仕事が会社組織に移行していくようで、より新しい車力道の方が大資金で計画的な整備が行われたのかもしれません。

車力道と水路が別になっている

ダムから山方向へ進んでいきます。進行方向左手の少し高いのが車力道、右手の低いところが水路です。

車力道の進む先には石垣

進んでいくと石垣が出現し、石垣と斜面の間を車力道が進んでいきます。木が生えて石垣の隅は崩壊していましたが美しい景色です。

笹が大分生えているが2本の車力道、その先に石垣が連なる

さらに進んでいくと二重の石垣が見えてきました。これの右手にも石垣があり、かなりしっかり作られていて、現在でも健在となっています。

石垣と石垣の間を進む車力道は笹に隠れて一部分かりにくくなっていますが、2本の樋道になっています。ここは傾斜が急になっており、石垣の上をストックヤードとし、そこから流したあとで猫車に載せて車力道を下っていったと思われます。

樋道の上は大丁場1の崩壊した掘割に繋がっていました。